カテゴリ: 私のリアル人生物語【母と私と夫と。】



プロローグや過去の話はこちらのリンクから...



中学2年生になった私。

毎日の金縛りも、
変わらず続いていた。

私が毎日ストレスを抱えて
様々な感情を抑えていることなんて、
全く気付こうともしない母。 

そんな母からの厳しさは続く。


この頃には、
両親から毎月のお小遣いを
貰うようになっていた。

友達の話を聞くと、

お金が必要なときに、
使い道を話して度々貰う子。

毎月の金額が
決められている子。

色々なパターンがあったが、
私の場合はどれにも当てはまらず...


成績が学年で30番以内だったら、
月に3000円。

30番に入らなかったら無し。

そういうルールで
約束させられていた。


例え私が納得できなくても、
母にはそんなこと関係ない。

母からの提案は、
いつも強制なのだ。

「それが嫌なら、
お小遣いはずっと無しだけど。」

そう言われて、
仕方なく頷いた私。


「お金が無いと、
友達とも遊べない。
それは絶対に嫌だ。」

私はその思いで、
とにかく勉強した。


家での勉強が嫌で、
夜が苦痛でたまらなかったが、

定期テストになると、
更に勉強させられた。


私は頭が良い子では無かったので、
一夜漬けでテストに挑むタイプだった。

毎日毎日、
勉強させられていたのに、
まったく出来ていない。


勉強は嫌々していても、
成績は上がらない。

私は身をもって証明した。


テスト期間中は、
夜中や朝方まで机に向かっていた。

母が起きてると、
気が散って集中できないので、

母が寝るまでは、
適当に勉強していた。


しかし、
そんな私の狙いは
脆くも崩れ去り、

「えりかの勉強が終わるまで、
ここで寝るから。終わったら、
部屋に戻るから起こして。」

母は「心配だから」と言って、
私のベットに入った。


勉強中ずっと、
真後ろのベットに母が居る。

私には自由がないのだと
改めて思い知らされた瞬間だった。


「私が夜中1人で勉強するのを
心配して付き添ってくれるのだから、
お母さんは凄く優しいんだ。」
そう思って自分を納得させた。

しかし、これが更なるストレスと
なっていったのは明らかだった。


そんな集中できない状況でも、
どうにか覚えるしかなかった。

私には“お小遣い”が
懸かっているのだから。


テスト期間中、
毎日寝不足になっていた私は、

両目の瞼の裏側に、
沢山のメイボが出来る程だった。

それは20年近く経った今でも、
しっかりと私の瞼の裏に存在している。

いつかは手術をして
除去しないといけないのだろうか。

そのメイボを見る度に、
昔の嫌な記憶が蘇る。



定期テストの度に、
30番以内を目指していたが、
残念な結果の時もあった。

そんな時は、
お小遣いが貰えない。

自然と友達とも
遊ばなくなっていった。


中学生の頃の遊びと言えば、

友達と集まって、
少し買い物に行ったり、
ファーストフード店で
お昼ご飯を食べたり。

ただ集まって喋るだけの
お金を使わない日もあったが、
お金が必要な日もあった。

最初はお金が無くても
行っていた私だったが、

次第に、お金が無い日には
行くのをやめるようになっていた。


そんな事を繰り返している内に、
いつも集まっている
友達の遊びは徐々に進んでいく。

休みの日には、
友達の家でお泊まり会を
するようになっていた。


私はすごく行きたかったが、
母が行かせてくれる訳がない。

「中学生で外泊なんて絶対にダメ。」

そう厳しく言われていた。

しかし、
お泊まり会に行った友達と学校で会うと、
話についていけない場面もあり、
みんな楽しそうで本当に羨ましかった。


そんな事が続き、
私は必死な思いで、
母に頼み続けた。

絶対に許してくれない母だったが、

私が泣いて怒って
しつこく言い続けた結果、

母が渋々許可してくれた。


しかし、
みんなと同じ時間に
行けるわけではなく、

私が行けるのは、
夜10時頃の就寝時間だった。

「みんなと寝たいだけでしょ?
だったら寝る時間に連れて行くから。」
母からは嫌味のように言われた。

それでも行ける事が嬉しかった私は、
途中からでも参加した。


初めてのお泊まり会。

そこには自分の知らない
世界や空気感があった。

正直、
「私が来れなかった間に
なんか入りにくい雰囲気...」
とちょっと引け目に感じた。

でも、結果的には
友達と夜中まで喋り、
楽しい時間を過ごして、
私の心は満たされた。

...と必死に自分の気持ちを
誤魔化していたのだろう。


私はこの頃には、
周りに引け目を感じても、
自分の感情を誤魔化して抑えて
明るく振る舞うという癖がついていた。

今思うと、、、

家族や親戚、
周りの大人にだけではなく、

友達にも必死に合わせて、
偽りの自分で過ごしていたのだ。


でも、それらが私の中で、
“心から楽しかった思い出”
となっていることも事実。

そんな日々が
当たり前になり過ぎて、

私はもう、本当の自分を
見失っていたのかもしれない。


「成績が良くないとお小遣いが貰えない」
「友達付き合いは最優先させない」
「中学生での外泊は禁止」

今思うと、
こういった母の教育方針は、
ごく普通なことかもしれない。

全ては私のワガママで
贅沢で甘かっただけ。

そう思うことも時々ある。


しかし、
こういったことの積み重ねで、

自分の感情を表に出せなくなり、
常に明るく楽しそうに振る舞う。

そういう偽りの自分の姿で
過ごすようになってしまったのも事実。


当時の私は、母の言動が、
自分の性格にこれほど影響しているなんて
全くもって想像していなかった。


「それは全て母のせい」
「教育方針は正解だとしても、
あんな言い方をしていた母を許せない」

母を恨むことで少し楽になる自分と、

「それは全て自分のせい」
「私は本当にダメ人間で、
自分が弱かったから悪いんだ」

母のせいにする事がダメだと思い、
自分を責め続けている私。


一体、何が正解なのか、
今の私は余計に分からなくなっている。


つづく。



続きを読む



プロローグや過去の話はこちらのリンクから...



中学3年生になった私。

周りは一気に受験モードだ。

将来の夢や、志望校を
いよいよ真剣に考え始める時期。


私には何の欲も希望も無かった。

将来の夢も無ければ、
行きたい高校も特に無い。

友達に誘われて学校見学にも
数ヶ所行ったが、特にピンと来ない。

「どうせお母さんと同じ高校に
行けば良いんでしょ。」と
心のどこかで確信していたことが
原因なのかもしれない。


友達みんなと、
どんなに楽しい日々を過ごしていても、

私の頭の中にある、
自分の将来の想像は「死」


ある日、自分の将来の夢や
進路希望を記入する紙が配られた。

全く真剣に考えていなかった私は、

将来の夢の欄に、
「玉の輿にのること」と
適当に書いて提出した。


そして、放課後、
担任の先生に呼ばれた。

担任の女の先生は、
すごく良い先生で、
みんな友達のように
とても仲良くしていた。


そんな先生から、
「ちょっとえりか。
将来の夢、ふざけて書いたでしょ。
ちゃんと答えて。」と言われた。

私は、
「将来の夢なんて全くない。
ほんとに無いんだよー!」
と素直に答えた。

すると、先生は分かってくれて、
「一緒に考えよう。」と言い、
とことん私と話をしてくれた。


「まず、何でも良いから、
大人の人を見て楽しそうだな
って思ったことある?」

「これは絶対にしたくない
っていうことはある?」

何でそんなこと聞くの?
っていう話から始まり、
色々と先生からの質問が続いた。

先生と話し始めて
20分が経った頃...


先生:「この人優しいなって思ったことは?」

私:「この前行った
整骨院の女の人が優しかったかな。」

先生:「その人たち、
楽しそうに働いてなかった?」

私:「んー確かにみんなで喋って
笑ってたし、仕事も楽そうだった。」

先生:「自分がその仕事をするって
ちょっと想像してみて。嫌じゃない?」

私:「別に嫌じゃない。」


先生:「整骨院で働く女の人は、看護師さんなの。
まず看護師さんになるっていうのはどう?」

私:「手術とか内臓とかを見るのが苦手だから、
その勉強をするのは多分無理。」

先生:「看護師さんじゃなくても良い、
そんな雰囲気の仕事が良いのかもね。」

私:「じゃあ、眼科の女の人は?」

先生:「あー眼科の人も看護師さんだ。」

私:「じゃぁ、歯医者さんは?」

先生:「歯医者さんは、歯科衛生士だから、
看護師にはならなくても働けるよ。」

私:「歯医者のお姉さんいつも優しいし、
歯医者で働くのは嫌じゃないかも!」



私は先生との会話の流れで、
自分の将来について少しずつ
リアルに考えることが出来ていた。


「先生の教え子で、
商業高校から歯科衛生士の学校に
進んだ子も居るんだけど、

えりかは数学が得意だから
まずは数字を活かせる学校で勉強してから、
その後に歯科衛生士に進んでみたら?

えりかには数学の勉強も
続けてほしいって思ってたし。
その高校だったら、
えりかの家からすぐ近くだよ。」

と先生から提案された。


私は確かに数学が得意だったし、
私にその道が適しているなら
そうしてみようかなって思った。


その後、
三者面談も行われて、
母にも話しをした。

先生が、
「看護師は無理だけど、
歯科衛生士の勉強なら
本人が出来そうということで...」

と言った瞬間、

「いや、それなら看護師になりなさい!
歯科衛生士より絶対看護師が良いから。」

いつもの母からの
強制的な導きだった。


私は意地になって、
「看護師は絶対無理だから」
と拒否してみた。

しかし、
母が私の気持ちに
納得するはずがない。


すると、
先生が私の気持ちや、
私に向いていることを
母に話してくれた。

母も先生のことは、
とても信頼している。


「あの先生は、
お母さんと思ってることが同じだから、
えりかのことを良く分かってる。」

母にとっての信頼とは、
自分の思い通りになる人なのだろう。


そんな先生からの説得もあって、
母は渋々納得してくれた。


帰りの車の中、
「えりかが看護師になってくれたら、
お母さんの思い通りだったんだけど。」
と言われた。

この言葉は、20年経った、
現在でも時々言われている。


「お母さんと同じ高校に
行かなくて良かったの?」と
気になっていた事を母に聞くと、

「お母さん、一度もあんたに
そんな事言ったことないけど。
勝手に勘違いしないでよね。」


いつも先回りして、
母の気持ちを感じ取って
母が納得するような言動をしていた私。

その癖や習慣が仇となって、
自分で自分を苦しめていたのだろう。

私の勘違いだったのだと、
少しホッとした。


こうして、
私の将来の夢、
進路希望は決まった。

この時の担任の先生には、
本当に感謝している。

先生と2人で話した
あの日の放課後が、

私の“ターニングポイント”
と言っても過言ではないくらい、
私の人生に影響を与えた日だった。

あの時の先生との会話は、
今でもずっと鮮明に覚えている。


つづく。


続きを読む



プロローグや過去の話はこちらのリンクから...



自分の進路が決まり、
あとは受験勉強に励むだけ。

今思うと、
勉強すること自体は
嫌いじゃなかった気がする。

しかし、
どんなに頑張っても
母に口を挟まれることが嫌で、
勉強は嫌いなものだと認識していた私。

母から褒められることもなく、
「どうしてそんなに出来ないの?」
と言われ続けていたせいで、
自分は頭が悪いのだと全く自信がなかった。


受験勉強も
私にとっては不安でしかなかった。


そんな中、担任の先生から、
“推薦入学”の説明を受けた。

「えりかなら、
推薦入試を受けられると思うけど、
まずは希望してみない?」

まずは自分の学校から
推薦してもらえることが必須条件。


幸か不幸か、
厳しい母のお陰で、
学校生活は“無遅刻無欠席”だった私。

部活動も3年間続けていた。

途中ケガをして
辞めたい時期もあったが、
母から辞めることを許されず、
最後まで在籍していた。


そして、
中学2年生の頃から、
“学級副委員長”という
ポジションを続けていた私。

学級副委員長というのは
名ばかりで、仕事はほとんど無い。

クラス全員分の役員がある中で、
実は1番楽な役だった。

しかし、イメージだけで、
誰も立候補しない穴場の役だった。

その流れで、
ずっと続けていた私。


そんな肩書きのお陰で、
学校から推薦してもらえた。


どんなに中身が不真面目で、
裏では友達と悪い事もして
遊んでばかりいたとしても、

肩書きや表面上のイメージが
大きく影響するのだと、
中学生ながらに知った。


それからの私は、
一般試験を受けたくない一心で、
推薦入試に向けて、
作文の練習や面接の練習を頑張った。


しかし、
勉強しない訳にもいかず、
母からは塾に通わされていた。

近所にある小さな塾。

週に1回90分、
月謝が五千円。

教室の中には、
いつも10人くらいの同じ歳の子。


授業を受けるスタイルではなく、
問題プリントが配られ、
分からない部分を質問する形。

初日に行ってみて、
衝撃を受けた私。


広い教室がシーンと静まり返っていて、
誰も声を発しない、物音すらしない。

先生もプリント1枚を配った後は、
座って本を読んでいるだけ。

そして、ほとんどの生徒が
ただプリントを眺めているだけで
時間が過ぎるのを待っている。


「この塾、通う意味ない...」

初日にそう確信した私。


迎えに来た母に、
その現状を説明したが、

「どうせ塾に行きたくないから
言ってるだけでしょ。」

「例え、周りがそうでも、
えりかはちゃんとすればいいでしょ。」

その塾が良いと
何故か信じこんでいる母に
私の声が通じる訳がない。

私はこの無駄な塾に、
8ヶ月ほど通った。


毎回配られる
問題集をコピーしただけの
たった1枚のプリント。

そして、
どこの問題集なのか、
レベルの高すぎる問題で、
みんなほとんど分からない状態。

何度か先生に質問した事もある。

しかし、
全く理解できない先生の説明。

「分からない方が悪い」
というような言い方をされて
質問する気も失せた。

みんなこの流れで、
何もしない無駄な時間に
なっていったのだろう。


こちらから質問しない限り、
先生も口を開くことはない。

「聞いて来ないと教えないよ。」
そう言われていた。

無言で無音な教室で、
90分間何もせずに過ごす
という地獄の塾だった。


何度もその事を母に伝えるも、
絶対に辞めさせてはくれない。

本当にその時間が
ストレスになっていた私。

塾に行くことを拒否して、
自分の部屋に籠もってみたり、
トイレの鍵を閉めて立てこもったり、
涙を流して説明したが、
母は休むことすら許してくれなかった。


この時のことが原因なのか、
私はシーンとした無音の空間がダメになった。

そんな空間になると、
冷や汗が出て動悸がして、
身体がとても辛くなる。

この症状は、その後の、
高校や専門学校での授業や、
様々な試験の時間などで、
私を相当苦しめることとなった。


そんな辛い時期もあったが、
いよいよ“推薦入試”の日がやってきた。

母に隠れて、勉強の合間に、
作文や面接の練習をしていた私。


母に知られると、
必ず嫌な言葉を言われて
憂鬱な気持ちになって、
ヤル気もなくなっちゃうから。

そんな思いで、
普通なら隠さなくて良いことまで
色んな事を隠すようになっていた私。

母に知られていない事、
自分の気持ちでやることは、
自然と苦痛なく頑張れた。


何が正解か分からない推薦入試。
自分なりの精一杯で頑張った。


そして、
合格発表の日。

担任の先生に1人ずつ個室に呼ばれ、
口頭で合否を発表された。

今までにない緊張感だった。


「えりか!春が来たよ!
合格おめでとう!」

先生と抱き合って、
叫んで喜んだ。

本当に嬉しかった瞬間。


その反面、
ほとんどの生徒が落ちた
という厳しい現実も知り、

「私の人生の運を、
だいぶ使っちゃったんだな。」

真剣にそう思っていた私。


こうして私は、
無事に高校受験をクリアした。

推薦入試に合格すれば、
一般入試を受けなくても良い。

つまり、もう勉強しなくて良い。


私が解放された瞬間だった。

そして、楽しい毎日。

私の運命を変えた、
旦那との出会いが訪れた。


つづく。



続きを読む



プロローグや過去の話はこちらのリンクから...



話は少し戻り...

中学校生活、
真っ只中だった頃。


友達との会話で、
1番盛り上がるのは、
“恋愛話”だった。

彼氏が欲しいだとか、
先輩のあの人がカッコイイだとか、
他校のあの人が好きだとか、、、

みんな、好きな人や
恋愛のことで頭がいっぱい。


私たちは1年生の頃から、
先輩達にキャーキャー言ってる、
よく映画に出てくるような
ミーハーな女子中学生だった。

そんな友達との時間は、
毎日が楽しかった。

恋愛モードいっぱいの、
よくある“青春時代”が始まっていた。


すでに、彼氏が居る友達も数名。

同級生と付き合っていたり、
先輩と付き合っていたり、
他校の人と付き合っていたり。

“一緒に学校から帰る”
なんて可愛い時代だったが、

みんな中学生ながらに、
立派に恋愛をしていた。


私にはずっと好きだった
1つ上の先輩が居た。

その恋は叶わなかったが、

その先輩のお陰で
毎日ドキドキな中学校生活を送れた。

私が3年生に上がると同時に、
その先輩は卒業。


先輩たちの卒業式には、
“学ランのボタンを貰う”ということが
イベントの用に行われていた。

ボタンが無くなり、
学ランまであげている先輩も多数。


私が好きだった先輩のボタンは、
“第二ボタン”だけが残っていた。

「あーあ、どうせあれは
好きな人の為に残してるんだろうな。
私もボタン欲しかったなー。」
なんて友達に嘆いていると、

その先輩が私の目の前に...


「付き合うことが出来なくてごめんね。
これはえりかちゃんにあげようと思ってた。
貰ってくれる?」

と言って、

私の気持ちを
知ってくれていた先輩は、

“第二ボタン”を
私の為に残しててくれて、
最後にプレゼントしてくれた。


そんな感動的で
ずっと忘れられない私の失恋。


そんな私は、
中学3年生へと上がり、

心にポッカリ穴が空いていた。


「あー私も彼氏が欲しい!」
「誰か紹介してよー!」

なんて友達と
毎日ブツブツ嘆いていた。


「よし!分かった!
じゃあ、他の中学の友達に
誰か紹介してもらおう!
えりかも行くよ!」

と言われ、
部活が休みの日には
放課後になると、

友達に連れられて、
みんなで他の中学校の区域まで
遊びに行ったりしていた。


そんな日々を送っていると、
私にも彼氏ができた。


でも結局は、
「彼氏が欲しい」「かっこいい」
という理由で付き合っただけ。

そんな気持ちで、
交際が続く訳がない。


その後も、
2人とお付き合いをしたが、
2~3ヶ月でお別れ。


1つ年上の高校生と
お付き合いをしたこともあった。

とても大人な雰囲気で
イケメンで優しい人だった。

お互い、放課後は
部活で忙しかったので、

毎日登校前に待ち合わせをして、
朝デートなんてして楽しんだり、

休日はカラオケデートなんてして、
真剣に付き合っていたのだが、

結局、ちゃんと好きになれず...


「もう私はあの先輩以外、
好きになれないのかもしれない。」

まだ子供だった私は、
真剣にそう悩んでいた。


それでも、
“彼氏”という存在が欲しかった私。

今考えると、
「彼氏欲しいよねー!」
「〇〇はラブラブで良いよねー!」
なんて言う友達との時間を
存分に楽しんでいたのだと思う。


みんな受験モードになっている頃、

「同じ塾の友達から、
そこの男子のプリクラを
大量に貰って来たよー!」

1人の友達が、
朝教室に入るなり、
みんなを集めた。

みんなで
ワーワーキャーキャー言いながら、
それに群がる私たち。


「この人カッコイイ!」
「えーこっちの方がカッコイイよ!」
「あ、この人知ってるー!」

なんていう会話が飛び交う中、

私は、アップで写っていた
1人の男子に目が行った。


「私はこの人がカッコイイと思う!」

そう指差した先に写っていた人。

それが夫だった。


私が初めて、
夫の存在を知った瞬間だった。


つづく。



続きを読む

↑このページのトップヘ